宝の山。
いざ温泉。
いざ、北へ
花屋でバイト
文化的なことがすきな子
私は料理などを含め文化的なことに強く関心がある。それを指摘したのは名古屋大学の吉田君。
文化的なことに関心があって、アメリカ文化に興味があり。
アメリカ映画やドラマをよくみていた。
そして航空券が2万円ほどの価格だったのもあり、アメリカン航空でシカゴへ。
彼とは特に連絡していなかったがシカゴの話をしてくれたのと、博物館で大火事の話がでてきになっていた。
毎日朝のおさんぽ。食べまくってたので、ジムへ行くのが日課だった。
チャラいやつはシカトしたが、プールでおじいさんに話しかけられた。
それがルチアーノ。近くでカジュアルなイタリアンをしている。
彼のお店のクリームスパは絶品。
日本のクリームと違うし、あっさりしている。
シカゴピザは食べないくせに毎日イタリア人が作るイタリアンを食べていた。
彼はインド人だ。
マンションもみせてもらい、車で友人の豪邸へ遊びにいった。
当時すきな芸能人の西川先生のコラムの中に彼女の友人が海外へ行き、現地で会った人にいろいろ連れてってもらい。その上、関係をもたずに帰ってくるという本に強く影響をうけた。
彼の友人のヴィノッドはインドに住んでいるがこちらに息子たちがいるのでこちらで会った。インドでも連れてってもらった。
挙げ句の果てに、私が彼についていけず機嫌を損ねて、彼とはそのあと会っていない。
インドでは友人のつながりでお会いした方々のおかげで有意義に過ごした。
南も北のダージリンにもつながる。
azuazuの冒険は続く。
最近は温泉やレジャーでよく楽しんでいるが。
またイタリアでもオーストリアでもインド人に会うのは、私の顔がインドの芸能人に似ていると勝手に思っている。
オダさんとアメリカ
ある日、仕事から帰った夏の日。
暑いので、網戸にしようと窓をあけると。
しらない男の人がベランダにいた。
お互い凍りつくが、私が動くと相手も動いた。
時は止まったが、怖いので窓を閉めてカーテンをしめた。
はっとして、恐怖感に襲われ。ここでやっと叫ぶことができた。
ジャイアンが大人になったような感じ。
ださい格好。
マンションの一階。1メートル20cmほどの塀も男は登ってしまうのだ。
時々音がしていたが、そうだったのだろうか。
すぐさま警察を呼んだ。すでに深夜をまわっていた。
怖くてしかたなく、翌日はお家に立ち寄ることができず。
当時愛用していた系列のホテルに泊まった。
試験をひかえていたので宿泊者専用ラウンジで勉強。1日中勉強してたので外人が話しかけてきた。
簡単な英語しかまだ話せなくて。
すると坊主の小柄のアジア人のような彼の仲間がきた。
英語で話しかけるが彼の英語は当時は難しく感じてうまく返せなかった。
幸いにも彼はなんと日本人だった。オダさん、そのばでナンパされ、夜飲みに行こうとメアドを聞かれ。
こういうのは初めてだったので教えてしまった。彼は半導体の会社の優秀な社員だったので清潔感とスポーツマンだったので変な感じがしなかった。
デートに誘われたが、シャツと水着しかなかったのでかわいい服を取りにいくことにした。勉強ばかりしていてもうお店はしまっていた。
怖かった。
明るいうちにいったけど。こわかった。
でもすぐさま家をでて、むかった。
約束の8時をすぎてもいないので、冗談かと思ったらきた。
きちゃった。と心の中で思った。
彼は当時シカゴに渡り、仕事をしていた。
一生懸命しごとして、アメリカにいった彼も好感をもったのと。
英語のアドバイスやさりげないアドバイスをくれる人がいなかったので好感をもった。
海外旅行で一番良かったとこはヨセミテと教えてくれた。
年間に2ヶ月くらいしか家にいなくて、マイラーな人がいうには間違いないと興味をもった。
数ヶ月後、一人で海外旅行でヨセミテへ。
当時。JALで行くとバスで連れてってくれるキャンペーンが私の背中を押した。
サンフランシスコへ。
さらにまた2ヶ月あとに彼に会いにシカゴへ。
買いだおれキャンペーンでエコノミーでもラウンジを使えるキャンペーン。
アメリカの文化、価値観が全く異なるのは私に大きく影響をうけた。
そしてまた、ルチアーノに出会い次回はインドへ興味をもつ。
海外がぐっとみじかなものになった。